あれから一年が経ちました…。

<その2>からの続きです。
「ウゥーーーーーッ、ウゥーーーーーッ、」
防災無線から、先ほどと同じけたたましいサイレンの音が!
「円山川の堤防が決壊しました!」
とアナウンスが流れてきました!
決壊したのは、どうやら円山川の東側堤防らしいです。
水位が上がるのが停まりました。
それから数十分後、市内の排水場の排水ポンプが
再稼動し始めました。
被害にあわれた方々には誠に申し訳ないのですが
本当に「助かったー」と心の底から思いました。
この後、私はカメラマン根性をだし、片手にレンズつきフィルム
ハーフパンツ、ビーチサンダル、ポンチョに身を包み
暴風吹きすさぶ中、市内の様子を歩いて見に行きました。
普段は絶対に浸水するはずのないメインストリートの
大開通が10cmくらい浸水しています。
どうやら、通りの南側に位置する五稜川の水位が周りの
地面より水位が上がり、そこから大開通のある北向きに
こぼれて流れて行ったらしいのです。
伊勢湾台風以来の水害ということで、商店さんは軒並み、
床下浸水となってしまいました。
しかも、家の裏から水が浸入し、商店となる表へと流れて
いったため、浸水に気づくのがおくれて被害にあってしまった
お店も多かったようです。
そして、メインストリートから北側の地域は、ほぼ浸水している
状態でした。
家に帰り、テレビで台風の動向を見ていると、「バシッ」と
突然電気が消え、停電しました。
外の様子を見ると、どうもこの辺近辺だけではなく
市街地のほとんどが電気が切れているようです。
防災無線からの情報によると、市内に電気を供給する
変電所が浸水しショート。自動的に電気が遮断されたそうです。
それからはもうこれ以上の浸水の心配はなくなったせいもあってか
うたた寝するかように、眠りに入ってしまいました。
・・・・・
気がつくと、外は明るくなっていて、
しかし、朝玄関の土間の戸を開けると、油臭い。
「???(なぜ油のにおいが?)」
ガソリンではなく、重油系の臭い。
外にでると、まさに台風一過とでも呼ぶべき、青空が
広がっていました。
そして、50mほど先には・・・
深みにはまって、エンジンに浸水し立ち往生してしまった
関○電力の工事クレーン車が!
どうやら、油の流出元はその車らしい。
おかげで近所一帯、油臭いの何の。
また、水が引き出してくると、その油が道路にきわをつけて
何時にどの辺まで水があったのか分かるような有様なのでした。
私の家の浸水は、午前中でほぼ引きました。
隣保付近の浸水はその日のお昼3時ごろまで残っていたでしょうか。
とりあえず我が家は大きな被害もなく一安心です。
もうひとつの本業の現場となるお店は完全に床上浸水したらしい。
なぜ、この時点で”らしい”といっているかというと、その地域一帯が
人間の腰辺りまで水が残っていて、そこまでいけなかったからなのです。
あらゆるルートからそのもうひとつの本業の現場となるお店へ
現状を確認しに行くために奮闘したのですが、ボートがないと
いけない状態なのでした。
仕方なく、その日と次の日は別館の方で出している写真を
撮りに周ったのでした。
台風から2日目にやっと水か引き、3日目にしてやっと
そのもうひとつの本業の現場となるお店へ辿り着けたのですが、
お店の中はグチャグチャ、前日までの華やかな売り場はどこに
いったのやら・・・という感じでした。
幸いなことに、私の現場は、浸水していてグチャグチャになって
大変ではありましたが、肝心なデータやパソコンなどは無事で
復旧に一週間近くかかりましたが、何とかほぼ元と同じことが
出来るまでに回復しました。
この台風23号
まさに、”伊勢湾台風以来の未曾有の被害”を出しました。
円山川の東側にお住まいの皆さんは、ほぼ軒並み床上浸水し
床下浸水したお家も、床上浸水したおうちと同じように
畳と床板をあげて、泥を掻きださないといけない状態でした。
また、円山川西側の市街地は、内水(雨などの排水)による
浸水が大きな被害をもたらしました。
まだ一部の方で、ご自分のおうちに戻れない方もあり、問題も
たくさん残っていますが、街の機能はほぼ復旧しました。
そして、今週末、この被害を忘れずに今後の教訓として生かすために
色々なイベントが開かれます。
そして、去年、台風被害で中止となった「大石りくまつり」もひらかれます。
ここまで復旧できたのも全国皆さんの応援と励まし、そして
ボランティアの皆さんの活動のおかげです。
ありがとうございます。m( _ _ )m
また、この『あれから一年が経ちました…。』の記事を
最後まで読んでいただいた皆様、長文にお付き合い
いただき、誠にありがとうございましたm( _ _ )m
KEY-BOの写真館は、明日からは通常通り
『写真をお楽しみいただける写真館ブログ』
として頑張ってまいります。
これからも、一層のお引き立て賜りますよう
よろしくお願いいたします。m( _ _ )m

あれから一年が経ちました…。

<その1>からの続きです。
さあ、いつ停電しても大丈夫なように、灯りを用意していた矢先
玄関から外の様子を伺うと、なんと!
うちの隣保近辺が浸水し始めているではありませんか!
最初は、うちの隣保の一番端にあるNTTの前に出来た水溜りが
6軒隣・・・5軒隣・・・4軒隣の前と、時間をおって、段々と
近づいてくるではありませんか!
この辺りになってくると、家じゅうパニックです。
「えーと、えーと(゚Д゚;≡;゚Д゚)」
「そうだ、靴!履物を上に上げとけ!\(゚Д゚;)」
「床上に上がってきた時のために、仏壇だけでも
今のうちに2階に上げとくかぁ?」
そんなこんなでバタバタしていると
「ウゥーーーーーッ、ウゥーーーーーッ、」
防災無線から、いつもと違う音色のけたたましいサイレンの音が!
「市民の皆様、円山川の水位が警戒水位を超えています
至急、指定された避難場所へ避難してください。」
避難勧告です。
「へっ?!」と思って玄関から隣保の様子を確認すると
新築・改築して浸水する心配のない家を除いて
他の家の皆さん、全部避難しているではありませんか!
(停電でもないのに家の電気が消えている!)
このときすでに2軒隣まで水がきていました。
お隣さんもいらっしゃらない!
「た、大変だぁ!うち以外、隣保の人避難しておんなれへん!」
「えぇー?!」
でも、結局、浸水した時のために非難せずに家にとどまることにしました。
水がどんどん浸水してきます。となりの玄関先まできています。
すると、家の玄関の土間になにやら、つつーっと液体が・・・
「い、家の中に浸水してきたぁーーーーーーぁ!」
そうです、うちの家の玄関の土間は、道路より数センチ低いので
となりの家との境目からの隙間から浸水してきたのです。
もう、それからはあっという間に、玄関の土間は水溜りになりました。
隣保の避難しなくて大丈夫な家の方が、浸水被害にあった一人暮らしの
足腰の具合がよくないおばあちゃんをおんぶして、救助されてきました。
雨風を避けるため、嫁いでいる娘さんがお迎えに来れるまで、うちの玄関に
一旦避難して頂きました。
母がバスタオルで濡れた髪を拭き、カーディガンと毛布で冷えないようにして
おもむろに母がそのおばあちゃんのバスタオルで拭いた髪を梳き始めました。
「濡れたまんまだと、風邪引くし髪も梳いておいた方がいいよ」
と・・・。
きっと、うちの母は自分の母親(私から言うとおばあちゃん)を彷彿と
思い浮かべていたのでしょう。
そして、娘さんが迎えに来られたときに、そのあばあちゃんが
「ありがとうございます、ありがとうございます・・・」
と母に手を合わせて感謝していただきました。
しかし、ここで娘さんが自分の乗ってきた車のキーをなくしてしまい
連れて帰れなくなってしまいました。
そこで私の出動です。
私の狭い軽自動車で、娘さんの家のある山の上の新興住宅地まで
お送りしました。
(実はそこも土砂崩れの可能性があったことが後ほど分かったのですが)
あばあちゃんを私が娘さんのお家の玄関先まで運びました。 

そして、あばあちゃんは私にも
「ありがとうございます、ありがとうございます・・・」
手を合わせて感謝していただきました。
台風という脅威の中で、唯一心がほっとした瞬間でした。
しかし、家に戻ると厳しい現実が待っていました。
水位がどんどん上がってきているのです。
防災無線からこんなアナウンスが・・・。 

「円山川の水位が危険水位に達したため、やむを得ず
市内の排水場の排水ポンプを停止いたします。
家屋浸水の恐れがありますので、市民の皆様は 至急、
避難してください。繰り返します・・・・」
そう、避難命令です。
しかし、私たちは避難しませんでした。
大事な家財道具をいざという時に、2階へあげなくてはいけないからです。
水に浸かっている玄関土間の基礎の柱を、母と二人で見ては
「床上まで浸水しそうだったら、すぐ仏壇だけでも上げるから!」
とず~っと5~10分おきくらいに見張っていました。
テレビで台風情報を見ていると、まさに直撃そして
台風の右半円にすっぽり入っている!
すると、
床上まであと10cmもないくらい水位まできています。
そのときです。
「ウゥーーーーーッ、ウゥーーーーーッ、」
防災無線から、先ほどと同じけたたましいサイレンの音が!
「円山川の堤防が決壊しました!」
とアナウンスが!
続きは<その3>で・・・・

あれから一年が経ちました…。

10月20日、忘れもしないこの日の出来事…。
そう、今日は昨年、兵庫北部に未曾有の被害を
もたらした台風23号が襲来した日です。
今日は写真のアップをお休みさせていただきまして
私の記憶をたどって、当日の様子を記録として残しておきたいと思います。
その日は、台風の影響で前日の夜半から雨が降り続き
朝から、すでに円山川が少し増水していました。
その前にきた21号では、一部の地域の道路が冠水しました。
しかし、他の地域には被害らしい被害はあまりなく
日本列島を縦断すると言われていた23号も
「そんなに大きなことにはならないだろう」
と我々は高をくくっていました。
昼過ぎからは雨も風も強くなり、もうひとつの本業の
お客様にキャンセルが相次ぎ、昼からあいてしまいました。
そこで、長らく散髪にいけなかった私は行きつけの散髪屋さんに
行くことにきめました。
移動中も河川が増水しているのが見えていました。
風雨も強く、私の軽自動車が揺らされるほどでした。
散髪屋さんに着いて、しばらくすると「バシッ」と電気が消えました。
その地域の送電線が倒木で切られたとのこと。
10分くらいで復旧しましたが、その後も2回停電が起きました。
外では消防車が出動するのが見えました。
近くに冠水しそうなところがあるということで、土嚢を積むために
出動したようです。目の前に見える田んぼは見る間に水田から
「大きな水溜り」に姿をかえ、それでもまだ増水していきます。
このとき予感めいたものをなんとなく感じていたのですが、
お店にあるテレビから、NHKのニュースで気象情報が
流れていました。
21号の時に、満潮による高潮被害で幹線道路が冠水し
交通が麻痺した神戸市内の様子を映し出していました。
「神戸は、今回大丈夫かな・・・」
などと、心配していると近畿地方の満潮時間を知らせる
予報が流れました。
確か、太平洋側が3時過ぎくらいに満潮を迎えるので
高潮被害の注意を呼びかけていました。
ふと、日本海側の満潮時間を見ると舞鶴で「18:30ごろ」
となっていたのを見つけました。
時間的に言って、丁度昼から降った雨が川に流れ込んで
集中して増水する頃じゃないかな、この満潮と重なるんじゃ・・・
・・・とふと思ったのです。
「でも、まさかなぁ、この辺で洪水が起きるわけないよな…」
散髪を終えて、お店を出たとき3時半過ぎでしたが、
かなりの雨で、先ほどの田んぼからは、道路が低いところでは
ちょっとした川となってあふれて流れています。
実は、奈佐川という市内でも有数規模の川をこえて
行かなければいけないのですが、土手の2/3まで水位が
上がってきていました。
もうひとつの本業の現場に戻ると、お店の担当者の方が
「今日はもう4時でしまいますから」
ということで、早々と帰路に着くことになりました。
でも、4時といえばまだまだ明るい時間。
私はカメラマン根性を出し、円山川の増水の様子が一番良く
観察できる「玄武洞」の船渡し場まで行ってみることにしました。
最初、県道のある堤防の土手まで行こうとしたのですが
途中の道が、すでに浸水していて通れませんでした。
なので、玄武洞のところなら見れるだろうと考えたのですが
この時点で、被害がでそうなことに気づくべきでしたね
実は、前にやってきた21号の時に船渡し場の高台にある土産物屋が
床上30cmという被害にあっていて、台風などで増水した時に
川の一番近いところで見ることが出来るのです。
運よければ、円山川の様子を写真に収めてやろうと思っていたのですが・・・。
途中の道路は3箇所ほど、30mから50mくらいにわたって
冠水していて、途中で引き返そうかとも思ったのですが
玄武洞まであとちょっとのところまで来て引き返すもの
悔しいので、そのまま玄武洞まで行きました。
到着すると円山川は、お店の高台の階段が後3段で
お店が浸かってしまう所まで、増水しているではありませんか。
雨風も勢力を衰える兆しもありません。
機材のセットなど出来る状態ではありません。
ひとしきり、様子を伺った後私は市内へ引き返すことにしました。
冠水した道路は先ほどよりも水位があがっているように感じます。
国道の幹線道路まで戻ったら、渋滞していました。
抜け道をしようと、鉄道下のガードを目指していると
「ジャバ、ジャバ、ジャバ」
なんと、一般の道路が冠水し始めているではありませんか!
この辺りから、「こりゃ、本格的にやばいぞ」と実感し始めたのです。
主要な幹線道路まで戻り、渋滞の中を市内へと入りました。
事務所のある地域へ入っていくと、ここもすでに15cmくらい
道路が冠水している!
このまま進めば、車の方がおしゃかになってしまう!
浸水していない幹線道路まで必死に戻り、家へとたどり着きました。
とりあえず何があるか分からないので、早めに夕食を食べ
その数ヶ月前に設置された防災無線に耳を傾け
断水に備えて、お風呂とバケツに水を汲んでおきました。
懐中電灯とロウソクを飯台の上に用意してテレビを注意深く
見ていました。
この続きは、<その2>で・・・