震災の日のことは今でも忘れない…

震災の日のことは今でも忘れない…

同じ兵庫県に住みながら、南部で起きた災害に
救いの手を差し伸べる事が出来ない自分の弱い立場とその無力さも…
街は復興したけど、失ったものは大きい。
なくなった人達の命も、
生き残った人達のそれまでの人生とそれからの生活も…
これからの自分に何ができるだろう?
毎年、1月17日、この日にそう思ってしまうのです。

 

阪神淡路大震災・・・ 今日で13年目を迎えました。

1995年1月17日、神戸を中心に未曾有の被害をもたらし
5千人以上もの犠牲者を出した阪神淡路大震災から
今日で13年目を迎えました。
2年前に出された「1・17宣言」から早くも2年が経ちました。
震災関連の不幸なニュースはめっきり聞かれなくなりました。
しかし、先日震災で罹災し、復興住宅に入居している方で
孤独死のままで亡くなられた方が50名近くにのぼったという
記事が報じられました。本当に残念なことです。
家族を失い、住むところも失い、その結果コミュニケーションも
失ってしまった悲しい結末です。
震災で亡くなられた人々とともに、ここでご冥福をお祈りしたいと思います。(ー人ー)
しかし、震災から生まれたものはそれだけではありません.
皆さん、直接お金を持たなくてもお買い物ができる「Edy」という
電子マネー・サービスをご存知でしょうか?
実は、あのサービスを考えた人は、震災の罹災した神戸に
ハンバーガーチェーンのお店を3店舗持っていたオーナーさんなのだそうな。
震災の時に、混乱に乗じてお店の売上金をごっそり消えて
しまったことがあるそうで、そのときに、
「そこに現金があるから、こういう犯罪が生まれてしまうのだ」
と思ったそうです。
つまり、お金を直接使わずに買い物できれば、お店にも大きなお金は
存在しなくなり、お客さんもお金を直接持ち歩かなくてもよい、
そう考えたのだそうです。
そこから、私財を投じて技術開発にかかり、その為に借金を背負い
持っていた3店舗のお店も借金返済のために売り払い、それでも
メーカーなどと一緒に共同開発したのだそうな。
今では、電子マネーは当たり前とまでは行かなくても、広く普及し
いまや携帯電話で電子マネーが使える時代。
自分の携帯も、機能を設定すればEdyの電子マネーが使えるものですが
何も考えずに毛嫌いしていたようなところがありました。
とかく、震災関連のお話は暗い・マイナスイメージのニュースしか、
聞こえてきませんが、震災がきっかけで世の中のためになることが
生まれていることを、本日この記事を読まれた方だけでも知っていただきたいです。

あれから12年…

今日は1月17日。
1995年の阪神淡路大震災から、早12年が過ぎました。
兵庫県下・神戸を始め、南部の各地で追悼イベントが行われています。
ここの写真館では、2004年の開館以来、毎年神戸ルミナリエの写真を
お送りしてきました。でも、それは決してカメラマンとして撮ったものを
単に見せびらかすためではありません。
同じ兵庫県民として、亡くなられた方々への哀悼と鎮魂の意をこめて
ネットでご覧になっている皆さんに震災を忘れてもらいたくない、という
思いをおこめております。神戸ルミナリエへもある意味、お墓参りのような
つもりでへ行っております。
そして、2005年に出された「1.17宣言」の心を忘れずに、
これからの自分の人生に活かして行きたいと思っています。
震災で亡くなられた6,434人の方々、その遺族の方々、そして
罹災されて苦労を強いられた方々へ哀悼と鎮魂の意を捧げます。
ここ数年、太平洋側沿岸で起こることが予想されている「東南海地震」
などの大きな地震の発生がが懸念されています。
占いではここ3年くらいが危ないとされていますが、実はいつ起こっても
おかしくない状況にあるそうです。
災害は起きないのが本当は一番いいことですが、もしも仮におきてしまった
としたら、阪神淡路大震災で得た教訓が十二分に活かされ、たくさんの
人々を救えるように機能してほしいと願ってやみません。
そして、そのときには自分には何ができるか、まだわかりませんが
自分のできることをやるつもりです。
今日は、ルミナリエ会場で鎮魂の音を奏でる
「希望の鐘」の写真をお送りいたします。

 

1・17宣言

阪神・淡路大震災から10年――――
1・17宣言

「忘れない」の決意。
感謝・絆・未来のために
一月十七日は忘れない
突然目の前が真っ暗になり
あちこちで真っ赤な炎があがっていた
叫び声が聞こえ
サイレンが鳴り響いていた
多くの人が貴い家族を失った
わたしたちは過信していた
科学技術を、近代都市を
わたしたちは忘れていた
共に生きているということを
支えあうことの大切さを
皮肉にもそれを教えてくれたのが
あの震災だった
頼るべき家族がたおれ
自らも力尽きようとしていた時
手を差し伸べてくれたのは
地域の人々やボランティアの人々だった
手に持てるだけの物を持って
彼らは助けに来てくれた
組織の思いでなく一人ひとりが
自分の思いで助けあった
子供たちも自分の意思をもって
自分の責任で行動し、家族を支えていた
あのときのひたむきな人々の表情
人間のつながりの貴さを
わたしたちは決してわすれないだろう
あの日
海がさわぎ、山がないた
わたしたちが愛した風景
育ってきた環境は
一瞬で姿を変えた
しかし共に困難を乗り越え
十年にわたる復興を通じて
この地に対する愛情は
より一層深まった
震災から学んだ教訓はあまりにも大きい
個人個人が持つ命あるものへの思い
わたしたちはかけがえの無いものを代償に
身をもって痛感することができた
この思いを、その貴さを
地球上の人々に伝えていかなければならない
だから、1月17日は忘れない
2005年1月17日
1・17 人類の安全と共生を考える兵庫会議